
【前編】ファッションの歴史 (メンズ)

当店のお客様にはバイク、車が好きな方、タトゥーが好きな方、音楽が好きな方など様々な趣味を持っている方が多い印象です。
そんな中でも共通して言い切れることは皆さん『ファッションが好き』ということです。
僕自身もファッション、洋服が大好きで
大人が着る洋服の着こなしを尊敬の目で見ていたのを今でも覚えています。
人間なら誰しもが着る『服』
私たちの一番身近にあるものと言っても過言じゃないと思います。
そんなファッションの歴史を皆さんと共有できればと思います。
ファッションの歴史は前後編の二部編成で今回は1970年代から90年代です。
1970年代〜

70年代のファッションとは切っても切り離せないもの
それは、
「ヒッピーカルチャー」です
1960年後半、当時の若者たちが自由を求め、自由に表現しようとした。
それが『ヒッピー』と言われたムーブメントです。
今では珍しくない、ペイズリー柄やタイダイ柄など派手な柄、色をファッションに取り入れたのがヒッピースタイル。
当時はそれが奇抜であり、最先端をいくスタイルだったんですね。
そのほかにも近年流行りにもなっていました、「フレアパンツ」
当時は体にフィットするタイトなフレアパンツが流行でした。
フレアパンツに古臭いイメージを持つのはこのためでしょうか。
当時の若者たちは社会への反発を
「ファッション」でも表現していたんです。

1980年代〜

一部ではファッションがライフスタイルとして確立された時代とも言われており、日本でも「バブル」の影響で洋服にお金を使う人達が多くなりました。
その時代に流行したうちの一つ。「プレッピースタイル」
そもそもプレッピーとはアメリカ東部の一流大学を目指す私立高校に通う生徒のファッションを指していて
「良いとこのお坊ちゃん」という意味もあり、
シンプル且つ上品なスタイル。
ボタンダウンシャツにブレザーやカーディガン、
パンツはチノパンなど、まさに海外の学生のようなスタイルです。

そしてもう一つ、80年代に流行したエアロビなどの影響もありスポーティーなスタイルが流行しました。
その中でも特に人気を支持していたのが皆様ご存知の「Adidas」
今でこそスポーティースタイルといえば「NIKE」が定着しましたが当時はアディダスがTOPの座にいました。
ナイロンのパンツやジャケットが登場したのもこの頃です。
80年代、アディダスといえば
RUN DMCしか出てきません。
シューレースを通さないという斬新なスニーカーの履きこなしは、今もなお最先端を感じさせます。
HIPHOP好きにはわかってもらえるはず、、、

ファッションの盛り上がりは日本でも。
国内で社会的なブームとなった
『DCブランド』
デザイナーズ&キャラクターブランドの略だと言われていますが定かではないようです。
現在では「ドメスティックブランド」略して「ドメブラ」なんて呼ばれたりしています。
今や世界中のオシャレさんが知る
『Yohji Yamamoto(ヨウジ ヤマモト)』
『ISSEI MIYAKE(イッセイ ミヤケ)』
『COMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)』
こういったブランドがいわゆる『DCブランド』です。
1981年に行われたパリコレで、それまで反逆を連想させるとしてタブーとされていた「黒」を「コム・デ・ギャルソン」と「ヨウジ ヤマモト」は前面に押し出し、常識を破壊したそのデザインは『黒の衝撃』と言われ世界中にその名を轟かせました。
日本では黒一色のファッションスタイルを指し「カラス族」という名前で浸透していったそうです。

前編を読んでもらうとなんとなく察しがついたかと思いますが、
1980年は現在に繋がるファッションの大きな変化が起こった時代です。
1980年に多大なる感謝を。
1990年以降は後編に続きます。